韓国のフィギュアスケート選手、キムヨナたんに関連するあれこれを韓国メディア記事中心に集めます!
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◆フィギュア クイーン ヨナ…20歳彼女のストーリー/ ① 'ミッシェル・ クワン'を夢見た貪欲少女◆
2010年03月28日 (日) | 編集 |
キム・ヨナ,欲ぐらい出来なければわあわあ泣いてジャンプまたジャンプ

"授賞台にのぼるや多くの考えが通り過ぎた。 2010オリンピックの時も私がこの競技場,この席で場内に鳴り響く愛国歌を聞くことができるだろうか? 果たしてそのような日が来るか? そうだと信じたかった。 本当に切実に…."(キム・ヨナの7分ドラマ中より)

キム・ヨナが世界選手権,グランプリファイナルに続き冬季オリンピックまで握る'フィギュア グランドスラム'を達成した。 彼女がそのようにあがめた'ミッシェル・クワン'も果たせなかった大業だった。

キム・ヨナが7才少女時代スケートを履くようにした'フィギュアの伝説'を越える瞬間だ。 幼稚園に通った7才子供キム・ヨナがフィギュアスケート靴を履くことになった契機はちょっととんでもない。 偶然に家の近所に室内スケート場ができたしスケートをあまりにも好むご両親について氷の上に初めて立った。

お母さんパク・ミヒ氏は"幼い時期ご両親が昌慶宮スケート場に毎日送られた。 当時氷は楽しい遊び場であり私達の子供たちにもその面白味を分かるようにしたかった"と話す。

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7才の時初めてスケーティングを習う時のキム・ヨナ.


◆子供'ミッシェル・クワン'を夢見る

=ついでに休み特講班に姉さんとともに二人の娘を登録させた。 趣味みなしてさせてみようとする考えだった。 その時がまさに'フィギュア女王'になる第一歩なのかはキム・ヨナもお母さんも分からなかった。

"震える心がだんだん消えるやスケート場は新しい世の中になった。 少しだけ力を集中してもこれからすべるように進んだし,速度が少しだけつけば顔が届く風がさわやかだった。"

初めてスケートに乗ったキム・ヨナは氷板で今までどんなものでも感じることが出来ない楽しみを感じた。 あたかも水魚が水を得たように。

パク・ミヒ氏は"スケートを乗る時ごとにヨナはとても楽しく見えた。 今まで美術塾やピアノ塾に送ってもこのように好んで見たことがなかったがびっくりした"と当時を回顧した。

キム・ヨナは小学校1学年の時'フィギュアスケーティング選手'になると自ら決心したという。 まさにアイスショー'アラジン'を見た後だ。

派手な衣装と美しい動作,素敵なストーリーがあってもキム・ヨナの目にはジャンプと回転する動作だけが入ってきた。 フィギュア選手になろうと決心した翌年の1998年長野冬季オリンピックが開かれたしキム・ヨナはそちらで'夢の実体'を発見した。

主人公は当時銀メダルを取ったミッシェル・クワン. どれくらいミッシェル・クワンに似ていたかったのかキム・ヨナは'冬季オリンピック遊び'をすれば常に'ミッシェル・クワン'になったし動作と表情演技まで同じようにやり遂げるほどどっぷり浸かっていた。

◆子供をおす状態になられますか

=だが'スケーター'になる決定は容易なことではなかった。 'お金'この問題であった。

マスター班が終わらんとする頃キム・ヨナを指導したリュ・ジョンヒョン コーチがパク・ミヒ氏に話を取り出した。 "ヨナはフィギュアに才能があります。 フィギュアはお金が多く入っていく運動です。 子供をおす状態になられますか?"

直ちに4万9000ウォンだったレッスン費が35万ウォンに走ったし9万ウォンのスケートも100万ウォンので履かなければならなかった。 その上国外現地訓練でも行けば2000万ウォン以上大金が出て行く。

当時パク氏は"私が大変でできないといって子供未来が折れると考えると一度させてみようという気がした"として以後すべての生活をヨナ中心に変えてしまった。

選手生活を始めた以後キム・ヨナの'貪欲'根性はより一層光を放った。

お母さんパク氏は"ヨナは幼い時から欲が格別だった"と話す。 小学校の時キム・ヨナがしばらく年齢の差が出る国家代表フィギュア選手たちと共にレッスンを受ける時姉さんらと競技しながらもあくせく勝とうとした。 周辺ではキム・ヨナを'負けるのをこらえられない子供'と呼んだほど。

◆一度の成功ために1000度倒れた

=ジャンプやフィギュア動作を初めて習う時はする時ごとに倒れるはずだが性格がせっかちで倒れながらもすぐ起きてまたしてまたしながら人より難度を加えた。

欲ぐらいうまくできなければわあわあ泣きながらも,またジャンプをして睡眠まで寝られないで気に障るといった。 練習も他の人々一度する時二回ずつした。 だから他の子供たちが1年練習する間キム・ヨナは2年分を練習したわけだ。

ブライアン・オーサーコーチも'一度の非常のための千度のジャンプ'という著書で"ヨナの天才的才能を空で下ろした祝福だと考える人がいるならば練習過程をぴったり三日だけ見守れと言いたい"とした。

キム・ヨナは当時を回想して'細鱗ディピーティー(세린디피티)'と話す。 偶然を装って訪ねてきた'機会'を捕まえて幸運で作ること。

だが誰にでも偶然を装った機会は訪ねてくる。 だがそれを捕まえて幸運で作るのは自分の持分だ。 '教科書ジャンプ'キム・ヨナのジャンプは天才的才能や才能が作った結果ではない。 まさに'機会'を幸運で作るために数千度失敗を繰り返して汗を流した結果であった。

[毎日経済 2010-02-26 15:37] 元記事はこちらから

※オリンピック直後のアップし損なっていたシリーズ記事、この機会にぜひお読みいただきたいです。
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