韓国のフィギュアスケート選手、キムヨナたんに関連するあれこれを韓国メディア記事中心に集めます!
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世界を惹かれたフィギュアクィーンキム・ヨナ
2010年03月06日 (土) | 編集 |
2010年2月26日.全世界が韓国の小さい淑女に惹かれた。4分7秒の間皆が息を止めて見守った彼女の演技は150.06という史上初の点数で世界を平定した。 '大韓民国フィギュアクィーン'キム・ヨナ(20・高麗大)が'オリンピック チャンピオン'になった。 2006年グランプリ3次大会'スケート カナダ'でシニア舞台にデビューした以後4年を走った結実を結んだ日,4分7秒間完ぺきな演技を終えたキム・ヨナは二つのげんこつをぎゅっと握って空に向かってセレモニーを飛ばした後涙を流した。 4年の間準備してきた舞台を終わらせたキム・ヨナの涙に大韓民国も泣いた。

グランプリファイナルから4大陸選手権大会,世界選手権大会,そしてオリンピックまで。 主要4個大会を全部さらってタラ・リピンスキー(米国)に続き史上二番目でフィギュアグランドスラムを達成したキム・ヨナ.彼女が成功できた火傷をする時ではきつく,時には熱く決めて訓練した努力があった。'オリンピック チャンピオン'キム・ヨナの2010バンクーバーオリンピック,その全てのものを覗いて見る。

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#秘密の準備

オリンピックを控えてキム・ヨナに対してお話が多かった。キム・ヨナが選手村に入らないでホテル生活を選択したためだ。キム・ヨナには'キム・ヨナチーム'がある。お母さんパク・ミヒ氏とブライアン・オーサーコーチ,デービッド・ウィルソン振りつけコーチ,物理治療師まで,キム・ヨナが国際大会ごとに常に同行する人々だ。

しかし選手村にはオーサーコーチしか入ることはできない。 それで選んだのが選手村でないホテル生活だ。 韓国オリンピック歴史上大会現地で選手村生活を拒否して個人的に別に生活した選手はただ一人もなかった。 浅田真央が"オリンピックを楽しみたい"として選手村に入ったのと対照されてキム・ヨナのホテル行にうわさも多かった。しかもキム・ヨナはバンクーバーに到着した後口を閉じた。 報道機関と接触を一切避けて, 二日の間簡単なコメントだけしながら"が終わった後に話す"とした。質問やはり受けなかった。オリンピックを控えて心の安定と集中のためにある行動らだった。もし成績が良くない場合非難を受けることもできることだったがキム・ヨナはオリンピック金メダルのための最善の選択だと考えた。

#自信,そして大胆性

そのようなことが出来たことはキム・ヨナが持った自身に対する信頼のためだ。 キム・ヨナは金メダルを取った後"オリンピックを準備した時間は思ったより大変でなかった。 準備がとてもうまくいっていて自信があった"として"終ると思ったよりオリンピックがそんなに難しくないという気がした"と話した。 途方もない自信だ。 大会が終わってキム・ヨナがこんなにまで話せたことはそれ位の訓練が後押しされていたためだ。

キム・ヨナは'練習の虫'で有名だ。 ブライアン・オーサーコーチは < 한 번의 비상을 위한 천 번의 점프 > という本で"キム・ヨナの天才的才能を空で下ろした祝福だと考える人がいるならば練習過程をぴったり三日だけ見守れと言いたい"とした。 幼い時から他の子供たちが1年練習する間2年分を練習するほど訓練にまい進したキム・ヨナはオリンピックを控えてさらにピッチを上げた。 人生最高の目標だったためだ。

12月グランプリファイナルを終えた後米国,ニューヨークで自動車で7時間かかるカナダ,トロントに移動して翌日まさに訓練を始めた。 オリンピックのための訓練だった。

途方もない訓練を通した自信に大胆な性格まで今回のオリンピックで光った。
ショートプログラムでキム・ヨナは5組3番目に演技した。 直ぐ前が浅田真央(日本)であった。 今回のシーズンずっと振るわなかった浅田は先月4大陸選手権大会優勝で伸びをした後この日ショートプログラムで73.78点を受けて復活した。 キム・ヨナが去る11月グランプリ5次大会'スケートアメリカ'で世界記録を更新した76.28に似た点数であった。

自身のライバルが良い点数を受けた後まさに演技することが容易なことではない。 だがキム・ヨナは特有の大胆性で全く意に介さなくて自分だけの演技をした。 2日後フリースケーティングで順序が正反対にさかさまになってキム・ヨナまさに後に演技をした浅田真央は落ち着いて競技して結局揺れてしまった。 それがキム・ヨナと浅田真央の最も大きい差であった。

#すごいレパートリー

キム・ヨナは昨シーズン ショートプログラム'死の舞踏'とフリープログラム'シェヘラザード'で世界舞台で翼をつけた。 キム・ヨナの長所を極大化やり遂げた振りつけコーチ デヴィッド・ウィルソンの作品だった。 キム・ヨナが世界選手権大会で優勝したことでその作品でもある。

キム・ヨナは今回のシーズン ボンドガールで変身した。 優雅な音楽中心であったフィギュアスケーティング プログラムに' メドレー'をショートプログラム レパートリーに持ち出してフィギュア界に新鮮な衝撃を抱かれた。濃いスモーキー化粧に無彩色の強烈なドレスとセクシーなカリスマで観衆をひきつけたこのプログラムはキム・ヨナがなぜオリンピック チャンピオンかを見せる。キム・ヨナがこの曲に合わせて演技をすることになったことは有名なフィギュア振付け師サンドラ ペジクがキム・ヨナの振りつけコーチ デヴィッド・ウィルソンに推薦したためだ。 キム・ヨナがショートプログラムを終えた後,オリンピック中継放送社のNBC解説を引き受けたペジクはキム・ヨナのショートプログラムに対してこのように話した。

"キム・ヨナのショートプログラムを本当に愛する。 運動選手としてだけでないある女性としてのキム・ヨナを性格まで完全に見せる。"

フリープログラムのジョージ・ガーシュウィンの'ピアノ協奏曲ヘ長調'は優雅なキム・ヨナを見せる。 白い皮膚に海水のように青いドレスを着て繊細な表情演技と優雅な身振りを見せるキム・ヨナを完ぺきに助ける曲だ。 これというハイライトの部分なしで落ち着いて流れる曲だがキム・ヨナの技術と表現力は確かに引き立って見える。 曲について行くのではなく自分の演技で曲を新しく解釈するという評価を受けた。

#完ぺきな演技

クリーン プログラムというのはプログラムを初めから最後まで失敗しないで完ぺきに終えることをいう。 キム・ヨナは"オリンピック チャンピオンになりたいと考えながらも,必ずクリーン プログラムをして金メダルを取りたかった"と話した。

キム・ヨナはショートプログラムで強かった。 世界記録更新もショートプログラムでさらにたくさん出た。 2分50秒の間繰り広げられるショートプログラムに比べてフリースケーティングは4分10秒の間長く続く。 キム・ヨナは体力が不足して常にフリースケーティングでは完ぺきな演技をできなかった。

去る10月フランス エリクポンパールで開かれたグランプリ1次大会から133.95点に世界記録をたてたキム・ヨナは当時プログラムに構成要素で含まれていたトリプルフリップを飛び越えた。それでも世界記録を受け取った。だがクリーン プログラムではなかった。シニア舞台デビュー以後,ショートプログラムではたびたびしてきたクリーン プログラムをフリースケーティングではただ一度もできなかったキム・ヨナはオリンピックで結局願いを成し遂げた。

ショートプログラムでジャンプの真髄をまともに見せた'キム・ヨナ,ピョ・ジョンソク ジャンプ'に審判らはショートプログラム歴代最高点数の78.50点でうなずく返事をした。 引き続きフリースケーティングでも幻想的なジャンプと優れた表現力,演技力に150.06という想像もできない点数を受けた。 自身が持っていた世界記録を16点以上跳び越えた途方もない点数であった。 そのように得た合算点が228.56点. 歴代女子シングル最高点であり,2位浅田真央(205.50点)とは23点も違いが生じる完ぺきな勝利であった。

オーサーコーチは金メダルを取り出したキム・ヨナとともに持った公式記者会見でこのように話した。 "初めて見た時キム・ヨナはスケートを滑るのが幸せに見えなかった。 仕事のために滑る子供と同じだった。 それで幸せにスケートを滑るようにしようと努力してきた。 キム・ヨナは今そうなったし,もう堂々としている女性がなった。 そのような姿を見守ることが誇らしい。"

矯正器を挟まって大変に練習した慎ましい少女はもう世界を平定した幸せなスケーターになった。

ヨナ-真央競争の歴史

一時は真央がとてもうらやましかった

2004年フィンランド,ヘルシンキで開かれたジュニア グランプリファイナル. キム・ヨナ(20・高麗大)と浅田真央(20・日本)はここで初めて会った。 キム・ヨナはこの前発刊した自叙伝 < 김연아의 7분 에세이 > で当時をこのように思い出させた。

"出てきて似た体形に同じ年齢.公式練習の時も真央選手は少しの気迷いもなしであまりにも軽くジャンプらを成功させたしほとんどであるはずがなかった。トリプル アクセルも失敗する姿をほとんど見られなかった。'きて,上手にする。世の中に何あんな子がいるか'と考えた。'なぜ、わざわざあの子供が私とのような時代に生まれたのだろうか'とする考えもした。"

以後韓国と日本を代表して'同年齢ライバル'に呼んできた二は真の競争関係であった。 他の見方をすれば浅田真央がいたのでキム・ヨナの成長がさらに光ることができた。 二つの共通した人生目標であったオリンピック金メダルも同じだ。 キム・ヨナの金メダルやはり共に競争してきた浅田真央がいたのではるかに光ることができた。

浅田は当時ジュニア選手としてトリプル アクセル(3回転半)を消化して世界フィギュア界を熱い雰囲気にした。 すでにジュニア時期だった2005年シニア グランプリ ファイナルに出場して1位を占めた程に天才であった。

そのような浅田を羨んだキム・ヨナは三回目正面対決だった2006ジュニア世界フィギュア選手権で浅田を押して金メダルを取り出した。 以後シニア舞台に進出した2006年末からキム・ヨナの逆転が始まった。

2006年グランプリファイナルで優勝してシニア舞台に成功的にデビューしたキム・ヨナは国際大会ごとに浅田と正面対立した。 2008年末に開いた2008-2009グランプリファイナルまでしても浅田が先んじた。

だが昨年から状況が変わった。 キム・ヨナが優勝したグランプリ1次大会で浅田は2位をしたし,2次大会では歴代最低点(150.28)を受けた。

やはりキム・ヨナが優勝した4大陸選手権大会,世界選手権大会で浅田は振るわなかった。 グランプリファイナルにも進出できなくて国内選手権大会でオリンピック進出権を取り出したアサダは徐々に技量を回復して今回のオリンピックに挑戦した。

ショートプログラムでキム・ヨナに4.72点遅れをとったがやれると考えたことは誤算だった。 何故フリースケーティング組み合わせ抽選でキム・ヨナのまさに後に演技することになった浅田はキム・ヨナの驚くべき点数(150.06点)にあふれる歓呼を聞いてリンクに出た。

必殺技のトリプルアクセル二度をきれいに消化したが心の負担を取り出すことが出来ない浅田は結局後半ジャンプで失敗をしながらキム・ヨナと比較にもならない131.72点に終わって合計205.5点を受けた。

歴代個人最高点数だったがキム・ヨナの記録の前ではあまり少ない点数であった。 過去'泣き虫'であった浅田は競技にでる時も授賞式でもそして公式記者会見場でも涙をこらえたが,結局日本取材陣の前でこのように話して涙を流してしまった。

"できるのをつくしたが勝てなかった。"
同じ年に生まれて一緒にスケートを乗って競争してきた彼女らの7年ライバル関係はオリンピック舞台でキム・ヨナの圧倒的な勝利で終わったように見える。 だが浅田がいなかったとすればキム・ヨナの成長も,オリンピック優勝もそんなに劇的でなかっただろう。

[日曜新聞 2010-03-05 09:12]  元記事はこちらから

※ヨナたん真央ちゃんのことを"もうひとりの自分"とも言ったとか。同じ時代にこんなライバルがいることも神さまから与えられた運命なんだと、ヨナたんはわかってる。いつか真央ちゃんとの闘いの日々を懐かしく笑顔で語り合える時が来るといい^^

昨日BSで録画しておいたエキシビ見ながら更新してました。
フィナーレの「This is a moment」に涙~;;

ヨナたんのEX「タイスの瞑想曲」はお祭りのエキシビ中にあっては決して派手じゃなかったけれど、終わった後に静かに沸き上がってきた拍手から観客方々の感動が伝わってきました。ボンドガール路線の「ドンスト」をやるよりもより女王キムヨナを印象づけたのではないかな、ステキなプログラムだったとわたしは思います。でもやっぱここでは「ゴールド」やって欲しかったなあ・・・。
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