韓国のフィギュアスケート選手、キムヨナたんに関連するあれこれを韓国メディア記事中心に集めます!
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ブライアン・オーサーの“幸せなスケーティング”リーダーシップ
2010年03月15日 (月) | 編集 |
“最初の目標はヨナを幸せにさせてあげるということだった”

大韓民国はしばらく去る金曜日バンクーバーの感動にどっぷり浸かっている形だ。 いや絶対忘れることはできない感動といえる。 全世界の人を驚かせた19才少女キム・ヨナ. キム・ヨナ症候群まで作り出したこの幼い少女が私たちにあたえる示唆する点は何だろうか? 今日はいくつかの資料を参考にしてキム・ヨナ事例を通じて私たちが習わなければならない点は何か直接叙述してみた。

余りにも違ったキム・ヨナと浅田真央の訓練環境

キム・ヨナが大韓民国でフィギュアをするということは決して容易なことではなかった。 我が国にはフィギュア専用スケートリンクさえもないから毎日明け方戴冠が可能なスケートリンクを探して数 十キロを移動しなければならなかったし,現地訓練費に衣装費,コーチ費,振りつけ費などに入る数千万ウォンを自費で負担しなければならなかった。 だからお母さんは二番目娘ヨナのために姉さんの夢だった実用音楽と進学をあきらめるようにさせる。

さらに100万ウォンに達するフィギュアスケーター用靴を買うことができなくてキム・ヨナはシニア デビュー後にもホッケー用靴を申告競技をすることになる。 ホッケー用靴は足首の部分を捉えてくれることができなくてヨナは毎日負傷と戦わなければならなかった。 さらに氷上連盟の利権争いと選手が受けた優勝賞金の30%を持っていく誤った制度はヨナのからだと心をますます紙片づけるようにさせた。 劣悪なスケートリンク環境,続く負傷の苦痛そして氷上連盟との葛藤は天使であった小さい少女を暗くて否定的な子供に作る。 結局キム・ヨナはその後笑いをなくすことになる。

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ブーツによる負傷で苦労した時,一般リンクで練習しているキム・ヨナ


反面,隣国の同年齢ライバル浅田真央の環境はこれとは克明に違った。 日本はフィギュアスケーティング未来の卵を政策的に支援する。 真央が訓練したフィギュア専用スケートリンクにはフィギュアに適切な温度がいつも維持されたし映像分析室,トレーニング室などが取りそろえていた。 さらに近隣にはいつでも利用できる専用一級ホテルも位置している。 コーチ陣やはり一流らだ。 一年に数 千万ウォンで数 億ウォンに達する訓練費やはり政府で支援してくれる。 それこそ選手たちは最上の環境で訓練にだけ専念すれば良い。 もしかしたら日本で真央のような一流選手が出てきたことは当然のことなのかも分からない。

絶対的に不利だった2人者キム・ヨナ,絶対的に有利だった1人者浅田真央. だがこの二つの運命は同じだがもしかしたら他のいかなる選択によりまもなくさかさまになることになる。

1人者を台無しにしてしまった一流コーチ,2人者を女王で作った初歩コーチ

ブライアン・オーサーコーチは天才選手だったがコーチでは初歩であった。 彼は選手時期“ミスタートリプル アクセル”と呼ばれる程優れた実力を自慢していた。 彼は実力が頂点に達した88年カルガリー冬季オリンピックで同じ名前を持った宿命のライバル ブライアン・ボイタノに会うことになる。 だが神のいたずらであったか? 嘘のような同点が出てきたのだ。 結局再競技をしたが0.1点というフィギュア歴史上最も小さい点数差で金メダルをライバル ポイタノに渡すことになる。 別名“ブライアンの戦争”で呼ばれるこの日の競技をオーサーコーチが自らまた見るには10年がかかったという。

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キム・ヨナとともに点数を待つブライアン・オーサーコーチ

こういうオリンピックの傷を持ったブライアン・オーサーコーチがキム・ヨナに初めて会ったことは2006年5月. 当時国内フィギュア環境と地図の限界を感じたキム・ヨナのお母さんは海外指導者で視線を転じることになる。 だが当時大勢であったロシア指導者を果敢にあきらめて,キム・ヨナお母さんはコーチでないプロ選手生活をしていたブライアン・オーサーという変化の要素を選ぶことになる。 ブライアン・オーサーは初めにはキム・ヨナお母さんの要請を丁重に断るが粘り強い説得に勝てないで3ヶ月短期教育を許諾することになってキム・ヨナを初めて会うようになる。

そして神の意であったか? キム・ヨナの演技を直接見たブライアン・オーサーはヨナの高いジャンプ力と早いスピードなど無限の潜在力に魅了されて専門担当地図を決心することになる。 ここに振付け師デービッド・ウィルソンが正式に合流して‘キム・ヨナ ドリームチーム’が誕生することになることだ。 この時,キム・ヨナのライバル浅田真央が属した日本氷上連盟ではブライアン・オーサーコーチ招聘を置いて“愚かな選択”としながら非難することもした。

それなら‘キム・ヨナ ドリームチーム’のリーダーブライアン・オーサーコーチはキム・ヨナというチーム員をどのようにリードしたのだろうか? これはオーサーコーチがヨナを正式に初めての指導する時した話を調べればよく知ることが出来る。

“初めて共に仕事をした時ヨナはそんなに幸せに見えない選手であった。 私たちの最初の目標はヨナを幸せにさせてあげるということだった。”

またオーサーコーチの自叙伝には“彼女の不幸に見えることさえする顔がずっと気にかかった”と回想したりもする。 そうだ。 ブライアン・オーサーコーチはキム・ヨナにスケーティング技術を教えたことでなくスケートを通じて幸せになる方法を教えたのだ。 実際振付け師デービッド・ウィルソンはオーサーコーチと意を共にしてヨナのためにコメディアンになるのを自任して最善を尽くしてヨナを笑うようにした。

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振付け師デービッド・ウィルソンがキム・ヨナに振りつけを指導している姿

この二人の努力で結局‘氷の女王’キム・ヨナの心臓はますます溶け始めたしやがてまた笑いを探すことになった。 ところで驚くべきことにこの時から競技をするときはヨナの顔で驚くべきであるほどの‘喜怒哀楽’演技が現れ始めたという。 このようにブライアン・オーサーコーチは強圧的に訓練をさせたり技術に対する反復的な練習を強要しなかった。 彼はキム・ヨナに先輩スケーターであり人生先輩としてヨン坊やスケーティングに対する自信と自身の人生に対する愛情を持って人格的に成長して行くことを望んで,それが真にヨナが享受しなければならない幸福だと信じた。 だからあれこれ指摘しないで適切な瞬間選手が必要とする助言をして,全体的なバランスを維持することができるように助けてくれた。

そしてキム・ヨナが選手生活をして最も大変がることが何か把握した結果それはまさに負傷であったという事実を知ることができた。 だから以前とは違ってキム・ヨナが小さい負傷でも当てられるときは直ちに訓練を中止して治療と休息に努力するようにした。 初めには練習をしないで休みながらも不安に思うキム・ヨナにオーサーコーチは“上手にしているの! ヨナが慢性的な負傷から自由になろうとするなら時には訓練を休まなければならない時もあって”として安心をさせてあげることもした。 他の一流コーチらの訓練方法とは完全に違った方式だった。

このような努力でキム・ヨナはオーサーコーチを非常に信頼することになったし,今は選手として本人がしなければならない明確な行動と心がけが何か自ら知ることになった。 “オーサーコーチは私が氷の上にある時何を考えるのか最もよく知っている人だ”というキム・ヨナの話とここに対して“私が生きてきて聞いた最高の賛辞だ”というオーサーコーチの返事はどれくらい彼らがお互いを信頼してパートナーやさしく厚いのかよく見せる。

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反面今回のライバル戦で敗北をした浅田真央のコーチのタチアナ・タラソワはオーサーコーチとは正反対の姿を見せる。 彼女は選手時代スターであり今まで数多くの選手たちを養成して‘金メダル製造機’というニックネームを持っている。 初めてフィギュア専門家たちは天才フィギュア少女がスターコーチに会った最高の組合だと感じたが本来浅田真央は彼女に会った以後下り坂を歩くことになった。

タラソワコーチは浅田真央の技術をアップグレードするのに集中したし,ライバル キム・ヨナの優れた表現力を負わせるために強圧的で強力な訓練を継続した。 彼女は本人の経験を通じて難しい技術を駆使してこそ金メダルを取ることができると考えたし,そうするために強力な訓練プログラムを構成したのだ。 だから浅田真央が自身なさそうで成功率が約30%しかならなかったトリプル アクセルをプログラムに必ず入れたのだ。

だがタラソワコーチの強圧的なコーチングで浅田真央は本人の長所だった溌刺として透明な感じの演技をなくしてロシア スタイルの荘重で劇的な演技に変わることになった。 だがこれはからだに合わない服を着たように不安定に見えた。 彼女の魅力のきらきら光る演技はどこも探してみることができなくなったしますますタラソワというリーダーの欲望に合わせていった。 失敗をするときは間違いなく指摘にあってあたかも罰を受けるように訓練の強度を高めていった。 だから大会では必ず成功しなければならないという強迫観念に捕われて危険でいらだっている演技を見せることもした。 そして実際常に最高だけを追求して,最高を見せると大きい大声を張り上げるタラソワと真央の姿はそれほど幸せに見えなかった。

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競技前タラソワコーチは真央に強圧的な精神教育をした。タラソワは選手がいつもついてくるだけする典型的なロシア コーチだ。 今回のオリンピックでキム・ヨナと浅田真央の最も大きい差異点は精神力だった。 キム・ヨナはその間オ・ソに学んだ肯定的なマインドと幸せなフィギュアを通じて驚くべき精神力を発揮した。 ショートでたとえ浅田真央が高い点数を受けた後出場したがすでに彼女に最優先課題は過去とともに(オーサーコーチに会う前)金メダルを首にかけるのも,ライバル浅田真央に勝利することでもなかった。 それはまさにオーサーコーチに学んだ自らスケートを通じて幸せな演技をすることだった。

実際ブライアン・オーサーはキム・ヨナが競技を出て行く前“上手にしなければならない” “仕損じるな!”という話は絶対しないという。 彼はいつも“私は君が(ヨン)メダル色にこだわるスケーターではなかったら良いだろう。 競技が終わって家族らに帰って‘本当にすごい経験だったよ!’と話をすることができる自分の演技を楽しむことができる選手になれば良い”と話す。 そして今回のオリンピックでキム・ヨナのこのような幸せなスケーティングは全世界の人らにまた他の幸福を伝えてくれた。 選手本人が幸福が何か分かるので他の人々にも幸福を伝えることができたという評価だ。

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ブライアン・オーサーコーチというリーダーを通じて真の幸福を求めた選手キム・ヨナ

[ニュース韓国 2010-03-04 10:11:51] 元記事はこちらから

※タラソワコーチが真央ちゃんのことを心身共に強い選手に育てようと親身になっていることをテレビのドキュメンタリーや真央ちゃん写真集の中野手紙で知りだいぶ印象は変わったんですが、ヨナたんとオーサーコーチ年に及ぶ信頼関係には太刀打ちできないでしょう。できることならこれからもずっとずっとこの二人(&ヨナたんチーム)を見続けていたいなあ。
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